酒井法雄の電脳な日々

ところで、酒井法雄とは何者だ?

17:11 96/10/06


酒井法雄...なんだかヘンな名前だ。と私が思ってしまうのは、これがペンネームだからである。
私はこの名前で、翔泳社が出版していた Programmer's Page や、その後継となっている Dr. Dobb's Journal 日本版、さらにその増刊である Visual Basic Magazine に執筆している。ふだんは、テクニカルライティングの他に、ソフトウェアの開発やコンサルティング、マニュアルのプルーフリーディング、最近ではインターネット/イントラネットの構築やらプロバイダーと、なんでもござれである。それというのも、面白いことには何でも手を出してみたくなるからだ。したがって、ライターはその中の仕事のひとつに過ぎない。そもそも、テクニカルライティングだけで飯を食っていけるほど、この業界は甘くないのである。
そもそも、ライターとしての私はNHK出版のエレクトロニクスライフ(この前身は電波科学だった。今はさらになんだか別の名前になってしまった。あのまま電波科学の方がカッコ良かったのに)、アスキー出版の月刊アスキーや別冊アスキー、Microsoft System Journal 日本版、さらに一時は技術評論社のThe BASICなどにも記事を書いていた。その間、出版社によっては「あそこと同じペンネームはやめてよ」などという話もあった。そこで、翔泳社で書くときにはあらかじめ新しいペンネームにしてしまったのである。タネを明かせば他愛ない話になるのだが、その当時、酒井法子のファンだったのである。で、中森明雄(こんな字だったかな)と同じノリでペンネームにしてしまったのだった。

Programmer's Pageで当時私が書いていたのは、QuickBASICの記事だった。内容としては、毎回それなりに動くプログラムを作っていくのだが、構造化とは何かといったトップダウンで書くと面倒そうなテーマを噛み砕いて紹介するという、教育的な側面のある記事であった。そこで、私はかなり砕けた形で噛み砕いた記事を書こうと思っていたので、こんなふざけたペンネームでもかまわないだろうと思ったのである。
他の雑誌や書籍を書くときには、本名や外人のフリをして書いたりすることもある。こういうときには、かなり真面目な感じで書いている。本当に外人が書いたのだと思っている方も多いようだ。また、まったく違うペンネームで別の出版社から砕けた記事を書くということもある。したがって、私の中では酒井法雄というのは、そうした比較的砕けた記事を書くためのペンネームだったのである。それが、いつしか一部からは権威のある名前のように思われてしまったのは意外だった。

Dr.Dobb's Journalという米国では有名なコンピュータサイエンスっぽい雑誌がある。この日本版を翔泳社が出版するという話になったとき、従来の開発者向けあるいはホビーユーザー向けだった Programmer's Page の後継とすることになった。したがって、DDJ日本版はなんだかいろいろな話題が詰まった雑誌になることになった。私もDDJの権威の1bitくらいは分かっていたので、私みたいなものが書ける雑誌ではないと思っていた。しかし、そういういきさつだから、私も筆者の末席を汚すことになったのである。
私の最初の連載は、当時日本語版が出ていなかったVisual Basic、すなわち英語版Visual Basic 1.0を使ったWindowsプログラミングの記事「Visual BasicではじめるWindowsプログラミング」であった。我が国でも Windows が発売されたものの、Windows上でのソフトウェア開発はきわめて面倒だと言われていた時期に、実にスマートにGUIのプログラミングができるVisual Basicは、イベントドリブンやオブジェクト指向(的)なトピックを解説するためには、まさに最適のものであった。いや、そういう意味では最適ではなかったのだが、現実的にこれからのWindows時代を乗り切るためのものとして、Visual Basicは重要だったと言える。
したがって、Visual Basicの連載と言っても内容はそんなに実務にすぐに役立つような話ではなかった。

ところが、そうこうしているうちに、ダウンサイジングだとか、PCでClient/Serverだとか、RDBMSだとかいう話が出てきた。さらに、Visual BasicのようなRAD(Rapid Application Development)ツールを使えば、専門知識を持つプログラマーでなくても、RDBMSにアクセスするクライアントプログラミングができるといった、とっても間違った誤解が広まった。現状ではこんなものは幻想である。しかし、そのときに最適なツール言われたもののひとつがVisual Basicであった。
実際問題として、日本語版Visual Basic 2.0は英語版が発売されてものの4カ月も経たないで発売されたもので、そのローカライズの速度は早かったのだが、残念ながらさらにその2カ月後には、英語版Visual Basic 3.0が発売されている。このバージョンに至り、Accessと共通のデータベースエンジンJetが搭載され、それにともないODBCとのインターフェイスが拡張されたりした。さらには不完全ながらも OLE Automationができるようになったのも、このバージョンからである。
米国でC/SだとかRADだとかRDBMSとか言って騒いでいたのは、このバージョンのことである。だから、日本語版Visual Basic 2.0ではそんなことはできないのだ。いや、確かにODBCとのインターフェイスはあったのだが、これは古い仕様のもので、現実的には対応するODBCドライバーもないため動かないものだった。

しかし、国内でもこういったC/SをEUCでという病気はどんどん広まってしまった。これには一部出版社などがあおったせいもあるのだろうか、Oracleが Oracle Workgroup Server(Windows NT、NetWare版)を発売するに至って、なんだかダウンサイジングしなきゃならないとみんなが思うようになってしまったのだ。これには、UNIXの世界であぐらをかいて商売していたのが、ふと気がつけぱ世の中 Windows になっているというようなあせりもあったからだろう。
かくして、セミナーや雑誌でもこういう話をしたり書いたりしなくてはならなくなった。私はVisual Basicの連載を書いていたのだから、Visual Basicを基本にして、どういうミドルウェアを使うことができるとかいう記事を別途書くこととなった。

気がついたら、Visual Basicの連載をまとめた単行本は売れるは(といっても、そんなでもない)、セミナーは大盛況だは、Nifty ServeのVisual Basicの会議室あたりに書いたら芸能人まがいの扱いだはで、いつのまにか酒井法雄は私とは違う人格として歩み始め、私よりずっと有名になってしまった。
私にとってはそんなことはどうでもいいことで、私の書きたいこと、やりたいことをしたいというだけだが、セミナーでも本名より酒井法雄の方が人が集まるからそうしてくれとか、新しく会った方からは「酒井さん」と呼ばれてしまう。どうもおかしなことになってきた。
私の記憶では、酒井法雄はそういう人ではなく、ビギナー向けの記事を書いているライターだったはずなのだが、こうなってはしかたない。私も観念することにした。

そういうわけで、PCDNも Visual Basicのスペシャリストである酒井法雄が発起してはじめることとなった。きっと本名の私が何を言ってもどうにもならないが、酒井さんが発起人だったらなんとかしてくれる。ちょっとヘンかもしれないが、PCDNのような仕組みを作りたいとずっと話してきた関係者にとっても、PCDNの仕組みを(ちゃんと動き出したら)享受できる方々にとっても、きっといいことなのだろう。

というわけで、
酒井法雄とは、雑誌やセミナーなどで Visual Basic 開発者のための情報を提供しており、業界内でもそれなりに顔のきく Visual Basic のスペシャリストである。
ということにしておこう。



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